最近はCOVID-19により、医薬品開発や臨床試験について注目が集まっています。
私も医薬品開発担当者として、微力ながら情報発信に努めているわけですが、今日は臨床試験の負の側面について、少し見ていきたいと思います。
やや重めの内容になります。
近年、臨床試験において発生した3つの重大な事故を取り上げました。
極端な事例ではあるのですが、サリドマイドのように昔に起きた事例ではないのです。
3件のうち2件は明らかに人為的なミスが原因で被害が生じた、また拡大した事例です。
先日は承認後の薬害について記載しましたが、今日は承認前の事故について見てみることで、違った観点で「臨床試験自体の重要性」や「試験を慎重に行なわなければならないこと」を考えていければと思います。
これらの事例はいずれも「第1相試験で起きた事例」になりますので、まずは第1相試験とはなんであるか?から見ていきたいと思います。
第1相試験(フェイズ1、P1試験)とは?
P1試験は一般的に健常人男性に対して治験薬を投与して、安全性や薬物動態(ADME:体内における薬の挙動)を確認する試験ですね。
人に初めて治験薬を投与することになるため、非臨床試験の結果を踏まえて、投与量を慎重に判断した上で投与されます。
例外的に抗がん剤等の副作用が強い薬剤は、第1相時点で患者さんを対象に実施することもあります。
また女性疾患を対象とした薬剤の場合は、男性ではなく女性を対象とする場合もあります。
日本ではだいたいP1専門のクリニックや病院で実施されることも多いですね。
意外なケースとしては、海外に留学している日本人を対象に現地で実施したりするケースもあります。
TGN1412事件
さて、それではP1で起きた大きな事件について、見ていきましょう。
TGN1412事件は2006年にイギリスで起きた大事件です。
TGN1412を投与された直後から、6人の被験者がばたばたと倒れ、投与12時間後には全員がサイトカインストームによる多臓器不全に陥りました。
一命を取り留めても、指が腐り落ちてしまった方もいたのです。
非臨床試験で安全性が確認された「薬」の候補だったのです。
それが「その辺の毒物が震え上がるような凄まじい毒性」を発揮したのです。
なぜこんな痛ましい事件が起きてしまったのでしょうか。
TGN1412とはいわゆる「スーパーアゴニスト抗体」でした。
アゴニストとはアンタゴニストの対義語で、分かりやすく言えばプラスの方向に作用する物質ということです。
つまり受容体を活性化させる方向に働きます。
免疫細胞の一種にT細胞という細胞がありますが、通常はT細胞受容体に対する抗原刺激があって活性化するのですが、TGN1412は抗原特異的な刺激がなくても、単独でT細胞を活性化することができる薬剤だったのです。
要は「免疫をすっごい元気にさせる」のです。
この賦活された免疫の暴走により、全身の臓器がやられてしまい、指の細胞がやられて腐り落ちるような事態となりました。
COVID-19の治療薬候補であるアクテムラが過剰な免疫(サイトカインストーム)を抑えて、肺炎の重症化を防ぐという仮説について、以前お話させて頂きました。
この薬は単純に考えるとその逆というわけです。
何が問題だったのでしょうか?
着目すべき点を3点あげました。
これらを無視して、6人の被験者に一斉に、4分間の急速静注で投与した結果、大変な事態になったわけです。
これが一人ずつ、ゆっくりであれば、インターロイキンに代表されるサイトカインの急速な上昇を察知して、早期に対処することができたのです。
最悪な事態が起こっても、まだ一人で済んでいたという考え方もあります。
非臨床で得られた結果を軽視し、ずさんに対応した結果起きた「人災」だったのです。
サリドマイドも非臨床で催奇形性が指摘されていたにもかかわらず、それを軽視した結果が、あの大惨事の一因となったとも言えます。
BIA10-2474事件
さて、次は2016年にフランスで起きたBIA10-2474事件について見ていきましょう。
BIA10-2474験は脂肪酸アミド加水分解酵素(FAAH)阻害剤でした。
FAAHの阻害は脳内エンドカンナビノイドの濃度上昇を通じ、種々の脳機能に影響を与えることが知られています。
画期的な作用機序を持つ薬剤として、様々な疾患に対して効果が見込めるのではないかと、結構期待された作用機序の薬剤だったのです。
個人的な感想になりますが、はじめから色々なところに効くだろうという薬剤は結構危ない気がします。
だって制御が難しいですからね。
私は研究者ではありませんが、何となくそんな感覚を持っています。
やっぱりエッジの効いた薬剤のほうが分かりやすくて好きかなー。
この治験では単回及び反復漸増経口投与試験(だんだん用量を増やす)等が計画されていましたが、事故は反復漸増投与試験における50mg群への5回目の投薬後に起きました。
実薬投与の6名中1名が脳卒中様の症状を呈して亡くなりました。
残り5名には事故発生の翌日にも6回目の投薬が行われ、うち4名は入院となる程の症状でした。
単回投与では安全性に問題なかったため、この原因は反復投与による薬剤の蓄積と推測されます。
この化合物の非臨床試験でも、反復投与において脳の病変が見つかっていました。
これを軽視した結果がこの事態を引き起こした一因と指摘されています。
また単回投与時の薬物動態のデータを反復投与に活かせていなかったとの指摘もあります。
そして何より、事故が起きたにもかかわらず、翌日も投与を継続したのが大きな過ちでしょう。
なるべく早く試験を進めようという焦りがこの事態を引き起こしたと指摘されています。
E2082事件
これまで挙げた2つの事件は、医薬品開発に携わるのであれば、まず大事件として挙げる試験でしょう。
3つ目は上記と比較すると事件の大きさは控えめですが、つい昨年末にこの日本で起きた事件ですので、取り上げてみたいと思います。
E2082はその開発コードから分かる通り、エーザイの医薬品候補化合物であり、抗てんかん薬候補でした。
てんかんというのは「脳の慢性疾患」で、脳の神経細胞に突然発生する激しい電気的な興奮により、失神やけいれん発作を繰り返す疾患です。
薬剤の服薬でコントロール可能となる場合が多いですが、近年、画期的な新薬が出ておらず、E2082は期待の新薬候補であったと思います。
ところがE2082の国内第1相試験に参加していた健常成人男性が治験薬投与後に電柱から飛び降り亡くなってしまうという痛ましい事件が発生しました。
この男性は精神疾患の既往歴や合併はなく、治験参加前は特に消えたいと思う気持ちはなかったとのことです。
そのためこの事象は「治験薬との因果関係は否定できない」とされ、様々な事情もあり、開発は中止となってしまいました。
試験の対応としては適切で、医療機関してもエーザイとしても、クリティカルな不手際は認められていませんが、薬事分科会では医療機関側の経過観察措置に対する疑問が上がっています。
この方は飛び降りに至る前に幻視や幻聴を訴えていたにもかかわらず、適切な対応をしなかったのではないかという指摘ですね。
前に挙げた2例は薬のせいだと言うことが、データからも明らかでした。
検査ではっきり分かりますからね。
しかしE2082の事例は精神的な有害事象が引き金となったため、白黒つけにくい点があったのだと思います。
そのため、世間では大きな事故としては扱われていません。
ただ、私はこの件は決して軽視してはならない事例だと思います。
非臨床のデータは公表されていないので分かりませんが、本当に安全性に問題なかったのか?
そして、患者さんのケアに問題なかったのかは、考えていくべき事項だと思います。
この事例を受けて、FIMガイダンス(国内第1相試験を対象とした「医薬品開発におけるヒト初回投与試験の安全性を確保するためのガイダンス」)が改訂されました。
精神科医の診察についてや治験中止、緊急入院措置等、被験者保護をより重視した改訂となります。
やはり健康成人男性が国内第1相試験で亡くなったのは初となるため、事態を重く見たということでしょうか。
先の事例のようなクリティカルな事例ではありませんが、日本の医薬品開発において、非常に大きいインパクトを与えた事例です。
私の感触ではこの事件以降、PMDAの安全性に対する要求が上がったと感じています。
まとめ
今日は近年の臨床試験で起きた3件の重大事故について見てきました。
非臨床試験の結果を尊重することの重要性や安全性に配慮して慎重に試験を進めることの重要性について、ご理解いただけたでしょうか。
COVID-19の治療薬開発で議論に上がっているのは、第2相や3相のお話が中心ですが、いずれにしても臨床試験は慎重に行わなければならないのです。
何も起こらないかもしれませんし、それがほとんどですが、何かが起きると非常にクリティカルな問題となるのです。
医薬品は体内にとって異物です。
だからこそ、毒にも薬にもなりえるということですね!
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