今日は性差という、ぱっと見センシティブな話題を取り上げました。
昨今は公的文書から性別を記載する欄を削除したり、そもそも性別という概念自体があやふやになっている気がする中、性差とかいうと界隈から石が飛んできそうですね。
見かけがどうとか心がどうとか、そういうことは置いておいて、あくまで科学的な側面から、医薬品における男女の差を少しご紹介させて頂きます。
ADME(吸収/分布/代謝/排泄)
ADME(アドメ)とは体内における薬の挙動のことであり、吸収(absorption)、分布(distribution)、代謝(metabolism)、排泄(excretion)の頭文字ですね。
口から飲み込んだ医薬品は胃酸等の洗礼を受けた後、小腸から体循環血液へと吸収され、生体内に分布し、肝臓などで代謝され、尿中等に排泄されて生体内から消失するのです。
細かいお話は置いておいて、ここで押さえておくべきは、医薬品が体内をめぐる過程がどんなものかということです。
医薬品の性差、つまり効果の違いについて考える際は、まずこのADMEについて考えてみるとよいかと思います。
もちろん標的部位の受容体の性差等、もっと分かりやすい性差もありますね。
抗がん剤の効果の違いの例
P-糖タンパク質はご存じでしょうか。
誤解を恐れず、簡単に言うと細胞内に取り込まれた薬物を外にくみ出す役割を持つタンパク質ですね
つまりこの子の働きが強いと、薬物の吸収が低下するというわけです。
P-糖タンパク質の基質は抗がん剤が多いので、抗がん剤の多剤耐性の原因にもなっています。
例を挙げてみましょう。
慢性リンパ性白血病患者の血液中におけるP-糖タンパク質の発現量や活性は男性の方が女性よりも高いと言われております。
つまり男性の方が抗がん剤を外にくみ出してしまうため、吸収が悪いということですね。
このことは女性の方が化学療法の効果が出やすく、男性よりも予後が良いという結果につながっているのかもしれません。
医薬品の吸収が異なるから、効果に性差があったという事例ですね。
生物学的な性の違いが、抗がん剤の効果に影響を及ぼしているのです。
血糖降下剤の効果の違いの例
次にもう少し分かりやすい例を挙げましょう。
アクトスはご存じですか?
一般名をピオグリタゾンと呼びます。
2型糖尿病におけるインスリン抵抗性を改善するお薬でPPARγ(ぴーぱーがんま)を標的としています。
この医薬品は性差について、インタビューフォームに記載されている面白い医薬品です。
副作用の1つである、浮腫について、次のような記載があります。
- 浮腫は女性やインスリン併用時において多くみられており[本剤単独投与及び
インスリンを除く他の糖尿病用薬との併用投与:男性 3.9 %(26/665 例)、女性 11.2 %(72/643 例)、インスリン併用投与:男性 13.6 %(3/22 例)、女性 28.9 %(11/38 例)] - 浮腫が比較的女性に多く報告されているので、女性に投与する場合は、浮腫の発現に留意し、1日1回15mgから投与を開始することが望ましい。
- 女性やインスリン併用時、糖尿病性合併症発症例において浮腫の発現が多くみられており、本剤を1日1回 30mg から 45mg に増量した後に浮腫が発現した例も多くみられている。これらの症例にあっては浮腫の発現に特に留意すること。
副作用の発現頻度の違いから、用法用量にも性差があるのですね!
また有効性においても性差があり、女性の15mg/dlの効果は男性の30mg/dlと同等であることが見て取れます。
これらの性差はなぜ生じるのでしょうか?
有効性に関しては、
- PPARγの発現量が女性の方が多いこと
- インスリン抵抗性の感受性因子であるレプチンやアディポネクチンが女性の方が多いこと
- 皮下脂肪が女性の方が多いこと
等が原因として考えられています。
安全性については私はよく存じ上げておりませんが、PPARγが腎臓におけるナトリウムの吸収を促進する方向で働くとのことから、PPARγの発現量の性差が関係しているのかもしれませんね。
生物学的性差の存在と性の多様性
上記で挙げた例のように、医薬品においては確かに性差が存在するのです。
男だから、女だからといったしがらみが薄れ、性の多様性が認められる社会は非常に良いことだと思いますが、一方で生き物としての雄、雌の違いというものは簡単に無視したり、石を投げてはいけないものだと思います。
例えば、上記のように生物学的な性による用法用量に違いが生じるとき、患者さんの生物学的な性を知ることができないと、その患者さんに不利益を与えてしまうことにならないのかな?
あくまで一人の患者さんとして、オーダーメイドな対応をすれば良いのかもしれませんが、そこに生物学的な性は考慮しなくてよいのかな?
性分化疾患(遺伝学的、解剖学的性が出生時に非典型な状態)もあることから、性がグラデーションであるということは言われていますが、治療上、どこかで線を引かないといけないのかな?
と素人ながら思います。
実際はどうしているのでしょうかね?
今回例にあげた医薬品における性差は一つの例ですが、もっと身近な例として、夜中に子供が泣き出したとき、それをパパが察知することができるかという問題があります。
旦那さんがぐーすかぴーしていたとしても、それは生物学的性差が根底にあります。
育児にやる気がないからと「だけ」一蹴してよいわけではないのです。
男は仕事で女は家庭という考えは古臭い考えで、会社で男性がそんなことを言ったら、恐らく集中砲火でハチの巣にされるかと思いますが、生物学的な性差というものに目をつぶって、性の多様性を声高に説くのもまたちょっと違うかなと私は思っています。
夜泣きに対応できないパパに文句言うのに、重いものは男の人が持ってね!っていうのはちょっと可哀想じゃないかな?って思います。
夫婦であればお互いに尊重し合えば良いだけのことですけどね。
と、脱線しましたが、少なくとも医薬品においては性差というものが存在するのよ?というお話でした。
参考
- アクトスインタビューフォーム
- Principles of Gender-Specific Medicine